エイブラハム・リンカーン


エイブラハム・リンカーンという男

リンカーンといえば、 ”奴隷解放の父”として、
あるいは”ゲティスバーグ演説”をはじめとする、 数多くの名演説を残した人物として、
歴史にその名をとどめている、世界的な偉人であるが、
実際の彼は、どのような人物だったのだろうか。

エイブラハム・リンカーン―――立志伝中の人物である。
彼は、1809年2月12日、 貧しい開拓民の家に生まれた。

リンカーンの父トーマスは、未開の地を切りひらいて、
畑をつくることで稼いでいたが、
リンカーンも、独立するまで、父の仕事を手伝って、
農作業に従事する日々を過ごしていた。

リンカーンの両親は、無学で、 読み書きはできなかった。
父親(トーマス)は、かろうじて自分の名前だけは書けたが、
母親(ナンシー)は、全く字を書くことができなかった。

肉体労働中心の生活を送っていたリンカーンも、
ほとんど学校へ行くことができなかった (合計して、1年も行けなかった)が、
そこで読み書きを少し学ぶと、 よく本を読むようになった。

22才で、実家から独立したリンカーンは、 その後、様々な職についた。
雑貨店の店員、陸軍兵士、郵便局長、測量技師などなど。

そして、政治に関心をもった彼は、 イリノイ州の下院議員選挙に立候補し、
25才で、初当選を果たす。

その後、独学で法律を学んだリンカーンは、
28才で、試験に合格し、弁護士の資格を取得。
法律事務所で、働きはじめる。

37才で、連邦下院議員選挙に出馬し、 これに当選。
国政にたずさわるようになるが、
再出馬せずに、 1期2年で、連邦下院議員をやめてしまう。
そして再び、弁護士に戻ったのだった。

しかし、その後、奴隷制をめぐって、 アメリカ北部と南部の対立が激しくなると、
この問題に関心をよせたリンカーンは、
再度、政治の世界に、飛び込むことになるのである。


アメリカ奴隷制の歴史

いったんは弁護士に復帰したリンカーンを、
再び政治へと導いた、
アメリカ国内の対立と、 その対立の原因となった奴隷制―――

なぜ奴隷制をめぐって、 アメリカ北部と南部が、対立するようになったのか。
そのことについて、 ここで簡単に、説明しておきたい。

そもそもアメリカが建国された当初は、 全ての州に、奴隷制が存在していた。
しかし、その後、奴隷制への対応の点で、
”アメリカ北部の諸州”と”アメリカ南部の諸州”の間に、 大きな違いが出てくる。

工業や金融が発達した北部では、
奴隷制から得られるメリットがなかったため、 奴隷制を法律で禁止し、廃止した。
そして奴隷制を”非道徳的”とみなした北部は、 奴隷制の拡大に、反対しはじめた。

しかしアメリカ南部の態度は、 北部とは真逆だった。
南部の人々は、奴隷制を、強く擁護したのである。
というのも、農業中心の南部では、
労働力として、 黒人奴隷を、大量に必要としていたのだった。
大農場を経営する南部の白人たちは、
自分たちの生活の基礎である「奴隷制」を、 決して手放そうとはしなかった。
そして彼らは、奴隷制の拡大を阻止しようとする北部と、
激しく対立するようになるのである。

リンカーンは、人種差別主義者だった?

奴隷制の問題をきっかけとして、
再び、国政へ挑戦することを決意したリンカーンは、
連邦上院議員選挙に立候補し、 49才で、共和党の候補に指名された(1858年)。
この選挙戦で、リンカーン(共和党)は、
対立候補であるスティーヴン・ダグラス(民主党)と、 7回の討論を行なったが、
この時も、争点となったのは、 やはり奴隷制であった。

リンカーンは、”奴隷制は悪であり、
これ以上、奴隷制を 拡大すべきではない”との考えを持っていたが、
ダグラスは、”奴隷制を導入するか、しないかは、
そこに住む住民が決めればよい”と主張した。
これに対しリンカーンは、ダグラスにこう反論した。

「我が国の政府は、”自由”という恩恵を保障するものとして、
誕生したのではなかったか。
奴隷制度は、黒人だけではなく、白人までも、国家までも、
腐らせてしまう”邪悪な制度”なのだ。」

このように、奴隷制を批判し、
黒人奴隷を弁護するかのような発言をしたリンカーンではあるが、
しかし彼は、”白人と黒人が、 全ての点で、平等であるべきだ”とは
考えてなかったらしい。
というのも、このダグラスとの討論の中で、
リンカーンは、こうも述べているからだ。

「私は、現在も、これまでも、 白人と黒人の社会的・政治的平等を
もたらすことを好んだことはない。
『黒人を有権者や陪審員にしたい』と思ったことは、 1度もありません。
『彼らを公職につかせよう』とか、
『異人種間の結婚を許そう』などと思ったこともありません。
私は、ここにいる誰もと同じように、
白人に与えられている優等な地位を、 保持することを好んでいるのです。
でも白人たちが、優等な地位にいるからといって、
『黒人たちの全てが、否定されて良い』ということには、 ならないのです。」

このリンカーン発言は、 我々の常識(21世紀の常識)からすれば、
間違いなく、問題発言である。
今、アメリカの政治家が、 リンカーンと同じようなことを口にしたら、
”人種差別主義者”とみなされ、 激しくバッシングされることは、まず間違いない。

ただ、ここで指摘しなければならないのは、
”21世紀の常識と、 19世紀(リンカーンの時代)の常識は、全く違う”ということだ。
当時、白人優越思想を持っていたのは、 なにもリンカーンだけではなかった。

最低・最悪の身分である”奴隷”の存在には、強い抵抗を感じ、
奴隷制を批判していた北部の人々にしても、
”黒人は、白人と同じ権利を持つべきだ”とは考えなかったし、
北部の多くの州が、黒人差別法を導入していたのである。
この恐ろしい差別社会が、 当時のアメリカの現実であった。

大統領への道

”奴隷制の拡大反対”を掲げて、 ダグラスに挑んだリンカーンだったが、
残念ながら、彼は落選してしまう。
しかし、この敗北した選挙こそが、
後に、リンカーンが大統領になる、大きな足がかりとなった。
というのも、7回にわたるダグラスとの討論の要約が、 全国の新聞に掲載され、
リンカーンの名が、全国的なものとなったからである。

そしてダグラスに敗れた2年後の1860年、
この年に行なわれた大統領選挙に、 リンカーンは立候補した。

選挙戦の最中、 リンカーンの元に、1通の手紙が届いた。
グレイス・ベデルという名の11才の少女が、出した手紙で、
それには、こう書かれていた。

「リンカーンさんの顔は、ほっそりしているから、
ヒゲをはやした方が、ずっと立派になると思うんです。
そうすれば、女の人は、ほおヒゲが好きですから、
きっとダンナさんに向かって、 ”リンカーンさんに投票したら”って、
言うんじゃないでしょうか。」

この手紙を受け取った後、
リンカーンが、ヒゲを伸ばしはじめたのは、有名な話である。

ヒゲを伸ばしたおかげかどうかは分からないが、
11月に行なわれた大統領選挙で、 リンカーンは、見事、勝利した。
この時リンカーン、51才であった。

アメリカの分裂

”奴隷制の拡大反対”を掲げるリンカーンが、 アメリカ大統領になる―――
こうした成り行きに、南部は激しく反発した。
奴隷制を守り抜くためには、どうすべきか。
南部が出した答えは、 ”アメリカ連邦からの分離・独立”であった。

リンカーンが大統領当選を果たしてから、 わずか1ヵ月半後の12月20日、
サウス・カロライナ州が、 ”連邦からの脱退”を宣言。
その後、次々と南部諸州が、連邦から離れていった。

そして翌年の2月8日、 連邦から独立した南部7州は、
「アメリカ連合国(南部連合)」という名の新国家を、 アメリカ南部に打ち立てた。
「アメリカ連合国」の大統領には、
元軍人で、政治家としても経験豊富な ジェファソン・デイビスという男が就任し、
今やアメリカは、2つの国家に、分裂してしまったのである。

南北戦争の勃発

11月の大統領当選から約4ヶ月後の1861年3月4日、
リンカーン大統領の就任式が、行なわれた。
就任演説の中で、リンカーンは 次のように述べることで、
南部が勝手に作った独立国家を、 認めない方針を明らかにした。

「連邦は、憲法よりも古いものであり、
南部諸州の脱退は、法的に無効であり、
連邦政府(リンカーンの政府)は、 これを認めることは出来ない。」

しかし同時にリンカーンは、 戦争を望んでいないことも表明した。

「”内戦”という重大問題は、
私に不満を抱いている国民諸君(南部)の手の中にあり、 私の手の中にはない。
連邦政府は、諸君を攻撃しない。
諸君は、自らが攻撃者であることなしに、 戦うことはできない。」

つまり”南部から、攻撃を仕掛けてこない限り、 戦争は起こらない”というわけである。
そして就任演説の最後、リンカーンは、 南部人の心に訴えた。

「我々(北部と南部)は、敵ではなく、友達である。
我々は、敵であってはならない。
激情がみなぎっていようとも、
それによって、我々の親愛の絆が、たたれてはならない。」

この呼びかけには、 ”アメリカ人同士の戦争を、 なんとか回避したい”という
リンカーンの心情が、うかがえる。

しかし、現実は非情であった。
リンカーンの思いもむなしく、 アメリカは、内戦へと転がり落ちていった。

内戦勃発の舞台となったのは、サムター要塞である。
サムター要塞とは、 サウス・カロライナ州(南部連合)にある、海上の要塞で、
この要塞は、連邦政府(リンカーンの政府)の支配下にあった。

南部連合の側からしてみれば、
自分の領土内にある、敵の施設(サムター要塞)を、
そのまま放っておくわけにはいかなかった。
そこでサウス・カロライナ州の知事は、 連邦政府に対し、要求を突きつけた。
すなわち”サムター要塞を、州に引き渡したうえで、
要塞にいる連邦軍を、撤退させよ”と。

リンカーンが大統領に就任した頃には、
サムター要塞は、南軍によって完全に包囲されており、
食料の備蓄も、1ヶ月分程度しか無かった。
このままいけば、サムター要塞は、 南軍に降伏するしかない。
そこでアンダーソン大佐(サムター要塞の守備隊長)は、
リンカン大統領に、”援軍の派遣と食料の補給”を訴えた。

サムター要塞に、救いの手を差し伸べるべきか否か。
リンカーンは、難しい立場に置かれた。
”サムター要塞への支援”を強行すれば、 南部連合との戦争になるかもしれない。
かといって、南部連合の言われるがままに、
サムター要塞を明け渡せば、 連邦政府が南部連合に屈することになる。

リンカーンは決断した。
サムター要塞に、救援部隊を送ることにしたのだ。
もしそうせずに、サムター要塞を見殺しにすれば、どうなるか。
リンカーンは言った。

「ユニオン(合衆国)の支持者を失望させ、 反乱軍(南軍)に勇気を与え、
外国に、南部連合を承認させる口実にされるでしょう。
実際これで、連邦が完全に崩壊するかもしれないのです。」

”サムター要塞に、食料のみ補給する。
このことは事前に、 サウス・カロライナ州知事(南部連合)に通知する。”
それがリンカーンの決定だった。

しかし、この決定を、南部連合は受け入れようとせず、
アンダーソン大佐(サムター要塞の守備隊長)に、 ”要塞からの撤退”を要求した。
結局、両者(アンダーソン大佐と南部連合)の話し合いは、 不調に終わり、
ついに南軍は、サムター要塞への攻撃を開始した。
リンカーン大統領の就任から、 わずか1ヵ月後の4月12日のことである。
そして、この攻撃が、南北戦争のはじまり、
アメリカ内戦のはじまりとなった。

その3日後の4月15日、 リンカーンは、 7万5千人の志願兵を募集し、
南軍を迎え撃つ準備を固めていった。
戦争の序盤は、リンカンにとって、試練の連続であった。
南北戦争がはじまると、 それまで連邦にとどまっていた南部の4州が、
次々と連邦から離脱してしまったのである。
これで南部連合は、計11州となった。

奴隷解放宣言

大統領就任早々、”自国の内戦”という 大ピンチに陥ってしまったリンカーンであったが、
彼は、戦争だけでなく、 もう1つ大きな問題をかかえていた。
”黒人奴隷の解放”である。
北部の奴隷制廃止派は、 ”今すぐ、奴隷を解放せよ”と要求していたが、
リンカーンは、なかなか実行に移そうとしなかった。

”境界州”が、連邦(北部)から、 離脱してしまうのではないか―――
そのことを、リンカーンは恐れていた。
”境界州”とは、奴隷制を維持していながら、 南部連合に参加せず、
連邦に所属していた州のことである
(メリーランド、デラウェア、 ケンタッキー、ミズーリの4州が、境界州であった)。

”境界州の離脱”の可能性は、 奴隷解放政策がはらむ、大きなリスクであった。
しかし反対に、黒人奴隷の解放が、
北軍に、大きなリターンをもたらす可能性もあった。
チャールズ・サムナー上院議員は、 リンカーンにこう言った。

「もっと兵士が、欲しいんじゃないのか。
それも北部だけでなく南部にも。 そう、敵の背後にな。
奴隷たちの力が、必要だよ。」

最初は”黒人奴隷の解放”を渋っていたリンカーンであったが、
苦戦が続き、南北戦争が長期化するにつれて、
リンカーンの考えも、次第に変わっていき、
最終的には「奴隷解放宣言」を発する決意を固めることとなる。

ただし、ここで勘違いしてはならないのは、 リンカーンが奴隷解放を行なう理由である。
それは、あくまで”戦争に勝つため”
”連邦の統一(南北の統一)を守るため”であって、
”黒人奴隷に同情したから”ではないだろう。
というのも、「奴隷解放予備宣言」を行なう、 わずか1ヶ月前の1862年8月22日、
リンカーンは、こう述べているからだ。

「私は、連邦を救いたいのだ。
この闘争(南北戦争)における、 私の最高の目的は、連邦を救うことであって、
奴隷制を救うことでもなければ、滅ぼすことでもない。
もし、ただ1人の奴隷も解放しないで、
連邦を救うことができるなら、私はそうしたい。
また、全ての奴隷を解放することによって、
連邦を救うことができるなら、私はそうしたい。
また、いくらかの奴隷を解放し、 その他の奴隷は、解放せずにおいて、
連邦を救うことができるなら、そうもしたいのだ。
私が、奴隷制と黒人について、事を行なうのは、
そうすることが、連邦を救うのに役立つと信じるから、 行なうのである。」

この1ヵ月後の9月22日、 リンカーンは、奴隷解放に関する「予備宣言」を出した。

「1863年1月1日に、 アメリカ合衆国に対して、 反乱状態にある州内に、
奴隷として所有されている全ての人は、
当日、または当日以降、永遠に自由となる。

大統領は、前述の1月1日に、
当日、合衆国に対して、 反乱を起こしている州が存在する場合には、
かかる州を、布告によって指定する。」

ここにある「反乱状態にある州」とは、
当然、南部連合の諸州のことを、想定している。
つまり、南部連合が、 1863年1月1日までに(およそ3ヶ月後までに)、
戦争をやめなければ、 南部連合が所有する奴隷は全員、解放され、自由となる。
これは、南部の奴隷制が、崩壊することを意味する。
そうなりたくなければ、 南部連合は、反乱をやめて、戦争を終わらせるしかない。
このように「予備宣言」は、 南部に、早期の戦争終結を迫る内容となっていた。

ところで、ここで気になる点が1つある。
リンカーンは、”『反乱状態にある州』の奴隷は自由にする”と 言っているが、
「反乱状態にない州」、 つまり、連邦に所属している「境界州」の奴隷は、
一体どうなるのだろうか。

残念ながら、この宣言には、限界があった。
境界州の奴隷は、1人も解放されないのである。
つまりリンカーンは、 「いくらかの奴隷を解放し、
その他の奴隷は、解放せずにおいて、 連邦を救う」ことにしたのだった。
さすがのリンカーンも、 ”境界州の、連邦からの離脱”を 招きかねない
”過激な政策(アメリカ全土での奴隷解放)”は、 実行できなかったのである。

そして、運命の日―――1863年1月1日がやってきた。
やはり、この日になっても、 南部連合は、戦争をやめようとはしなかった。
そこでリンカーンは、約3ヶ月前(1862年9月22日)、
「予備宣言」の中で、予告したとおりに、
「反乱状態にある州」を指定し、 そこに住む奴隷を解放する宣言にサインした。

「私は、ここに指定された州(反乱状態にある州)で、
奴隷として所有されている全ての人が、
今後、自由となるべきことを命令し、宣言する。」

この「奴隷解放宣言」によって、 リンカーンの名は、後に世界的なものとなった。
ただし、ここで注意すべきは、
”アメリカ全土で、 奴隷が解放されたわけではない”ということだ。
すでに述べたように、 これら一連の措置で、解放されるのは、
敵(南部連合)の奴隷のみであり、
味方(境界州)の奴隷は、 1人も解放されないのである。
そういう意味では、不完全な宣言であった。

だが”アメリカの奴隷制の根絶”という目標を達成するうえで、
リンカーンの「奴隷解放宣言」が、 大きな1歩となったことは、
まぎれもない歴史的事実である。

またこの「奴隷解放宣言」は、北軍の戦力強化にも、役立った。
戦争終結までに、約18万人もの黒人たちが、
北軍に志願し、 南軍と戦ったのである。


【参考文献】
リンカン 神になった男の功罪」土田宏(彩流社)
戦争指揮官リンカーン アメリカ大統領の戦争」内田義雄(文藝春秋)
リンカン アメリカを変えた大統領」ラッセル・フリードマン(偕成社)
リンカ−ン 南北分裂の危機に生きて」井出義光(清水書院)
リンカ−ン 風化の像」山本幹雄(世界思想社)





リンカン―――神になった男の功罪
「奴隷の解放」「1つのアメリカ」―――
偉大な目的を達成したリンカン大統領。

だが、その一方でリンカンは、
死者60万人以上の大惨事(アメリカ内戦)を引き起こした人物でもあった。
本書は、 「偉大な大統領リンカン」の再検討を行なう
歴史ノンフィクションである。
【著者】 土田宏
【出版社】彩流社

リンカン(上)南北戦争勃発
政敵を巧みに操り、
アメリカ分裂の危機を乗り越えた 「最も偉大な大統領リンカン」―――

第一次史料を駆使した本書では、
リンカン大統領の「知られざる政治手腕と人物像」、
また「混迷する政局の実態」から「閣僚の家庭事情」まで、
克明に描いている。
【著者】 ドリス・カーンズ・グッドウィン
【出版社】中央公論新社

リンカン(下)奴隷解放宣言
ついに南北戦争が始まった―――
リンカンは、戦争を積極的に指導、
激戦の最中に「理想を掲げる」というカケに打って出る。
リンカンは再選を果たすものの、 戦争終結直後に、暗殺されてしまう。
「リンカン最後の4年間」を、第一次史料から描き出す。
【著者】 ドリス・カーンズ・グッドウィン
【出版社】中央公論新社

戦争指揮官リンカーン
なぜアメリカは、戦争をするのか?
全ては「南北戦争」から始まった―――

「戦わない将軍はクビだ!」リンカーンの将軍操縦法
「電信で、戦争を指揮できるのか?」リンカーンの挑戦
「奴隷解放も、戦争だ!」奴隷解放宣言
「とことん噛みつき、噛み殺せ!」リンカーン最後の賭け
「『正義の戦争』の誤算」現実の戦争は、書かれることなし

なぜリンカーンは、戦争に勝つことが出来たのか?
そしてアメリカにとって「正義の戦争」とは?
【著者】 内田義雄
【出版社】文藝春秋

戦争と政治とリーダーシップ
リンカーン、チャーチル、クレマンソー、ベングリオン―――
この4人の「偉大な政治家」は、
「戦争」という最悪の状況において、「最高司令官」となった。

彼ら政治指導者は、いかに情報を収集し、何を決断し、
軍部という「現場」を動かしたのか。

「偉大な政治リーダー」不在の今、
危機的状況下での「決断」「人心掌握術」「リーダーシップ」を、
4人の卓越した政治家から学ぶ。
【著者】 エリオット・コーエン
【出版社】アスペクト

リンカーン演説集
「人民の、人民による、人民のための政治」と演説したリンカーン大統領。
リンカーンの生涯は、
著述1冊すら残すヒマがないほどの多忙と苦難の連続であった。
したがってリンカーンの演説だけが、
彼の思想や人格を、うかがい知ることができる唯一の資料となっている。
【著者】 エイブラハム・リンカーン
【出版社】岩波書店

マンハント―――リンカーン暗殺犯を追った12日間
奴隷解放反対主義者にして、俳優の「ジョン・ウィルクス・ブース」は、
「奴隷解放」を掲げるリンカーン大統領を、拳銃で殺害した。

南部にたどり着きさえすれば、
自分の行動に賛同する住民が、守ってくれるはずだ―――
そう考えたブースは、馬で、南部への逃亡をはかるが、
途中で足を骨折、予定は大幅に狂ってしまう。
そして追及の手が容赦なく、暗殺犯ブース一味に迫る―――

歴史ノンフィクションである本書では、
大統領暗殺犯ブースと、彼の犯行に加担した者たちの「最期」までを描く。
【著者】 ジェイムズ・スワンソン
【出版社】早川書房

リンカーン
上巻
中巻
下巻
崩壊寸前のアメリカを救った、リンカーン大統領。
リンカーンが大統領に就任してから、暗殺されるまでの4年間にわたり、
リンカーンの周辺人物たちの視点から、
偉大にして悲劇的な大統領リンカーンを描いた長編歴史小説。
【著者】 ゴア・ヴィダル
【出版社】本の友社

世界の歴史(14)ワシントンとリンカン
学習漫画。
イギリスの植民地であったアメリカは、
イギリス本国との戦争に勝利し、独立を勝ち取った―――
「王のいない国アメリカ」の誕生であった。

その後アメリカは、「南北戦争」では「奴隷制」を廃止し、
世界一の経済大国へと成長していく。
「自由の女神」物語など。
【出版社】集英社


DVD

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そんな中、殺人事件が起こり、
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「43人の歴代アメリカ大統領」と「関係者」。
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