ドゴール――
フランス版・幕末の志士を率いた男

内容紹介

わずか四年で、
“無名の軍人”から“フランスの英雄”となった男ドゴール――

本書は「攘夷(独伊の排斥)」と「倒幕(ペタン政府の打倒)」を掲げ、
フランス版・幕末の志士たち(自由フランス)を率いて戦った
“二〇世紀の巨人”シャルル・ドゴールの伝記(歴史ノンフィクション)です。

目次

序章

第一章
“フランスの異端児”シャルル・ドゴール
ドゴールの出陣
ドゴール将軍の誕生

第二章
さらばフランス――祖国を失ったドゴール
フランスは孤立していない――ドゴールのラジオ演説
孤立するドゴールとイギリス

第三章
「自由フランス」の頼りない船出
イギリス人の畜生め、犯罪者だ!

第四章
フランス版「幕末の志士」
中部アフリカ無血占領
北西に進路を取れ
アレキサンダー大王の再来なるか――魔王ヒトラーの快進撃
アドルフ・ヒトラー――“世界の帝王”になれなかった男

第五章
タフガイ・ドゴール――国益のためなら、超大国ともケンカをする男
共産主義国・ソ連へ、接近するドゴール

第六章
アメリカに嫌われるドゴール
ドゴールを仲間ハズレにするアメリカ
汚れた関係――アメリカとダルラン
ダルラン暗殺

第七章
フランス版「三国志」
花嫁にされたドゴール
ジローとの権力闘争――優位に立つドゴール

第八章
フランス中央政権の誕生
ジローの失脚
対立再燃――ドゴールVSルーズベルト
四年ぶりの帰国

第九章
アメリカに勝ったドゴール、そして国内の敵との戦い
昨日の友は、今日の敵――国外レジスタンス(ドゴール)と国内レジスタンス
パリ解放
ドゴール、パリへ凱旋
ドゴールの、ドゴールによる、ドゴールのための“大パレード”

終章

参考文献

以下の文章は、「序章(冒頭部分)」からの抜粋になります

「一五〇〇年このかた、いかなる嵐も、
フランス国民から、その主権を奪うことも、
またその最後の兵力をもぎ取ることも出来なかったのである。

我々はフランスに、
独立・植民地・剣を、再びもたらすのである。」

――シャルル・ドゴール



 シャルル・ドゴール。
言わずと知れたフランスの英雄である。
 ジャンヌ・ダルクやナポレオン・ボナパルトと同じく、フランスの偉人として、世界的に有名なドゴールではあるが、
ドゴールと同時代に活躍した政治家――例えば「鉄のカーテン演説」のチャーチルや、
「ニューディール政策」のルーズベルトなどと比べると、
案外ドゴールとは、よく知られているようで、あまりよく知られていない人物なのかもしれない。
そこで、ここでごく簡単に、ドゴールについて紹介したい。

 本名シャルル・アンドレ・ジョセフ・ドゴール、
フランス陸軍の軍人、そして政治家である。
 今から約七〇年前の一九三九年九月に、独裁者ヒトラー率いるドイツ軍が、
ドイツの隣国ポーランドへ侵攻した事によって、第二次世界大戦が始まったが、
ドゴールは、この大戦争の時代に、世界的な著名人となった男である。

 ドイツ・ポーランド戦争の翌年(一九四〇年五月)には、ヒトラーのドイツは、ドゴールの祖国であるフランスへ侵攻し、
この戦争においてフランスは、ドイツに破れ降伏してしまう。

 しかしドゴールは「フランスの降伏」に断固として反対しイギリスへ亡命、
「自由フランス」という亡命組織を率いて、独裁者ヒトラー(敵国ドイツ)との戦争を継続した。
 その後フランスが、ヒトラーの支配から解放された時、
ドゴールは勝利者としてフランス本土へ凱旋し、フランスの国民的英雄となったのだった――
 ここまでが第二次世界大戦頃までのドゴールの軌跡であるが、
ここでもう少し、ドゴールの人物像を掘り下げるため、いくつか資料を紹介しよう。

 まずは学生時代(陸軍大学時代)のドゴールについての講評である。
陸軍大学の教官は、ドゴールという学生について、こう評価していた。

「聡明、教養ある真面目な士官なり。
才気と能力あり。
素質十分。」

 さすが“二〇世紀の巨人”として、歴史に名を残すだけあって、
ドゴールは優秀な学生であったようである。
 だが大学側は、ドゴールの「人間性」については、いささか手厳しい評価を下していた。
続きを読んでみよう。

「不幸にも『過度の自信』『他人の意見に対する厳しさ』が、
文句のない質を損なっている。」

 ドゴールは、ものおじしない性格であったようである。
彼は“自分が正しく、相手が間違っている”と感じた時には、たとえその相手が、自分よりも格上の相手であれ、
遠慮なく「NON!」と言い放つタイプであったため、ドゴールの行く至るところで、摩擦が生じた。
 ドゴールがまだ一介の大佐にすぎなかった頃、
彼はフランスの軍部や政府の方針とは異なる路線を主張し続けて、フランスの上層部から非難されたし、
また政治家としてフランスを背負う立場となってからも、
フランスより優位にある超大国(大英帝国やアメリカ)に対して、臆することなく「NON!」を突きつけて、
アメリカ大統領ルーズベルトから大いに嫌われる事となった。

 ドゴールにとって、最大の支援者であったイギリス首相チャーチルですら、ドゴールには手を焼いた。
チャーチル首相は、自身の回顧録において、こう述べている。

「私は確かにドゴールに関して、絶えず困難を感じ、また幾度か反感も抱いた。
彼の傲慢な態度には、腹が立った。
彼がイギリスの友人でない事も、私は知っていた。」

 さらにチャーチルはドゴールについて、こんな事も口にしている。

「(ドゴールが)偉い男だって?
利己的で、高慢ちきで、自分こそ世界の中心だと思っている……あの男め……
そうだ、おっしゃる通り、アイツは偉い男だよ!」

 有能ではあるが、自己主張が強すぎて、周囲とのトラブルが絶えない男――それがシャルル・ドゴールであった。
 この“相手が誰であれ、言うべき事はハッキリ言う”というドゴールの性格(自己主張の強さ)が、
いかんなく発揮された、ある一つのエピソードがある。
 仏独戦争が起きる数年前、当時まだ「大佐」にすぎなかったドゴールは、
「戦車」をめぐる問題で、フランス軍の戦略とは異なる構想を主張して、
フランスの上層部から非難されてしまうのだが、まずはこのあたりから話を始めたい。

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